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旧小笠原書院
所 在 地●飯田市伊豆木3942-1
電 話●0265-27-4178
開館時間●9:00〜5:00
入 場 料●大人300円 小人150円
休 館 日●月曜日 祝祭日の翌日 年末年始
駐 車 場●有 無料
当園より●25km 35分
書院建物の北に隣接する小笠原資料館
建物の南3分の1は斜面に突き出しており
建物全景
■伊豆木小笠原家と旧小笠原書院
伊豆木小笠原家は1600年、徳川家家臣だった小笠原長臣が当地方の幕府領(天領)10万石の支配を命ぜられ、家康より旗本知行地として1000石を賜り、武蔵の国本庄から移封され、この伊豆木に居を構えたのが始まり。当時広大な城郭建築をなしたが、明治5年にはその大半が取り壊され、接客に利用された書院と玄関だけが残された。その遺構が旧小笠原書院で、1617年の建築。やや小高い城山をなす敷地で、入り口となる大手橋から物見櫓跡への坂道付近の石垣などもよく残されている。昭和27年に国の重要文化財に指定された。
■小笠原家と信濃
小笠原家は清和源氏系の河内源氏義光流の出自。甲斐源氏嫡流の武田家とは兄弟として分流。平安末期に甲斐国小笠原荘(現南アルプス市)に住んだ長清が、小笠原性を称したのが始まり。1342年に小笠原貞宗が信濃守護に命ぜられ、室町時代を通して代々その地位を世襲した。しかしその間には、地位を争って同族で激しい戦いも繰り返された。江戸時代末の九州小倉藩15万石大名小笠原氏は、深志流(松本)、また越前勝山藩2.2万石大名小笠原氏と旗本伊豆木小笠原氏は松尾流(伊那)。
唐破風屋根の玄関は明治始めに移設
京都清水寺舞台同様の懸造り